鹿児島持明院像

鹿児島市立美術館庭園にある石像

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鹿児島市の中心部、城山町の一角に、ひっそりと佇む石像がある。地元の人々から「じめさあ」と親しみを込めて呼ばれるこの像は、島津家第十八代当主・家久公の正室、持明院(亀寿)を模したものと伝えられている。「じみょういんさま」が鹿児島の方言で「じめさあ」となり、今もなお多くの人々に慕われている。

持明院様は、容姿には恵まれなかったものの、その温かい人柄で周囲から深く尊敬されていたという。そのため、彼女の命日である10月5日には、鹿児島市広報課の女性職員たちが集まり、石像にお化粧を施す「化粧直し」の儀式が毎年行われている。この伝統は、昭和4年(1929年)に当時の樺山可也市長が、苔むした石像を見つけ、顔を洗い、チョークで化粧を施したことに始まるとされている。 (pref.kagoshima.jp)

しかし、この石像の起源には別の説も存在する。江戸時代、鹿児島市の大乗院に「白地蔵」と呼ばれる石像があり、願い事をする際に白粉を塗る風習があったという。この白地蔵が、廃仏毀釈の際に行方不明となり、後に現在の場所で発見されたものが「じめさあ」として親しまれるようになったとも言われている。 (burakago.seesaa.net)

石像の周囲には、四季折々の花々が咲き誇り、訪れる人々の心を和ませている。春には桜が舞い、夏には緑が生い茂り、秋には紅葉が彩りを添える。冬の澄んだ空気の中、石像は静かに佇み、時の流れを見守っているかのようだ。

この場所を訪れると、持明院様の優しさや慈愛に満ちた生涯に思いを馳せずにはいられない。彼女の精神は、今もこの地に息づき、訪れる人々に温かさと安らぎを与えている。「じめさあ」の石像は、鹿児島の歴史と文化を静かに語り継ぐ、心の拠り所となっている。