関興寺

新潟県南魚沼市の臨済宗禅寺

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新潟県南魚沼市の静寂な山間に、関興寺はひっそりと佇んでいます。この禅寺は、応永17年(1410年)に覚翁祖伝和尚が開山し、以来600年以上の歴史を刻んできました。関東管領上杉家や上田長尾家の庇護を受け、最盛期には信州・佐渡・能登・越中・越後の五カ国に300もの末寺を擁する一大禅道場として栄えました。 (city.minamiuonuma.niigata.jp)

境内に足を踏み入れると、まず目に飛び込んでくるのは総門です。この門は、安房勝山藩の酒井家の門として200年以上前に建設され、群馬県箕郷町(現・高崎市)の文化財だったものを平成21年に寄付・移築されたものです。門の両側には門番の詰め所があり、武家屋敷らしい造りが特徴的です。 (pref.niigata.lg.jp)

本堂へと続く道の途中、枯山水の庭「臥龍の庭」が広がります。岩を龍に見立て、龍が寝ている姿を表現したこの庭は、禅寺ならではの静謐な美しさを湛えています。南魚沼では珍しいこの庭園は、訪れる者の心を落ち着かせ、深い瞑想へと誘います。 (pref.niigata.lg.jp)

関興寺の歴史には、味噌にまつわる逸話が伝えられています。天正6年(1578年)の御館の乱の際、上杉謙信より寄進された600巻におよぶ大般若経を、修行僧たちが味噌桶の中に隠し、戦火から守ったとされています。以来、この味噌をいただくとご利益が授かるとされ、「関興寺の味噌なめたか」という言葉が生まれました。 (city.minamiuonuma.niigata.jp)

また、境内には六角輪蔵と呼ばれる一切経が収蔵された回転式の書架を持つ経蔵があります。寛政10年(1798年)に造られたこの経蔵は、県内でも数少ない珍しい構造物で、内部には1000以上の経文が収蔵されています。回転させることで功徳を得ることができると言われています。 (pref.niigata.lg.jp)

関興寺の裏山には、南方稲荷神社が鎮座しています。御館の乱の際、景勝軍に300余人を率いて加勢し、勝利へと導いた渡邊藤兵衛が、論功行賞の際に行方不明となり、稲荷の祠の前に粗末な武具が脱ぎ捨ててあるのが発見されました。人々は、かの武者こそ稲荷権現の化身であったのではないかと噂し、景勝公は祠が城の南に位置することから、「南方稲荷尊天」と名付け、社殿を建立し篤く尊崇されたと伝えられています。 (pref.niigata.lg.jp)

関興寺では、写経や坐禅体験などのほか、無料のお茶を飲みながらのんびり過ごせる心休まる"いやしの禅寺"として、多くの人々に親しまれています。季節ごとに咲く花々や美しい庭園は、訪れる者の心を和ませ、日常の喧騒を忘れさせてくれます。 (city.minamiuonuma.niigata.jp)

関興寺は、歴史と自然が織りなす静寂の中で、訪れる者に深い安らぎと悟りへの道を示してくれる場所です。その佇まいは、時を超えて多くの人々の心に響き続けています。