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錦川の清らかな流れに架かる五連の木造アーチ橋は、まるで空に舞う錦の帯のように優美な姿を見せています。この橋は、江戸時代初期の1673年、岩国藩主・吉川広嘉の命により築かれました。当初は「大橋」と呼ばれ、後に「錦帯橋」と名付けられたこの橋は、長さ193.3メートル、幅5メートルの五連アーチを描き、四季折々の風景と調和しています。 (yamaguchi-tourism.jp)
春には約1500本の桜が咲き誇り、橋と川面を淡いピンクに染め上げます。夏には青々とした木々が涼やかな影を落とし、秋には紅葉が橋を彩ります。冬の静寂の中、雪化粧をした橋は一層の風情を醸し出します。夜にはライトアップされ、幻想的な光景が広がります。 (yamaguchi-tourism.jp)
この橋の建設には、吉川広嘉の並々ならぬ情熱が込められていました。度重なる洪水で橋が流されるたびに、彼は流されない橋を築くことを決意し、家臣を各地に派遣して研究を重ねました。その結果、中国の西湖に架かる橋の構造を参考にし、独創的なアーチ構造を持つ錦帯橋が誕生しました。 (xn--n8ja1ax8hx09vzyhxtan6s.club)
しかし、完成からわずか半年後の1674年、橋は再び洪水で流失してしまいます。それでも広嘉は諦めず、橋脚の強化や構造の改良を施し、1675年に再建された橋は、その後276年間、流失することなく人々の往来を支え続けました。 (kintaikyo.iwakuni-city.net)
錦帯橋には、人柱となった乙女たちの伝説も伝わっています。橋の建設中、度重なる災害を鎮めるために人柱が必要とされ、二人の娘が自ら志願して川底に沈められたという悲しい物語です。彼女たちの犠牲により、橋は完成し、長く人々に愛される存在となりました。 (xn--n8ja1ax8hx09vzyhxtan6s.club)
また、錦帯橋の下流には、ニンギョウトビケラという昆虫が作る「石人形」と呼ばれる自然の造形物が見られます。これらは人の形をしており、先述の乙女たちが姿を変えたものとも言われ、岩国の民芸品として親しまれています。 (xn--n8ja1ax8hx09vzyhxtan6s.club)
現在の錦帯橋は、1950年のキジア台風で流失した後、1953年に再建されたものです。その後も2001年から2004年にかけて「平成の架け替え」が行われ、伝統的な工法を用いて美しい姿が保たれています。 (kintaikyo.iwakuni-city.net)
錦帯橋は、ただの橋ではなく、歴史と文化、そして人々の情熱が織りなす物語の舞台です。その優美な姿と深い歴史は、訪れる人々の心を魅了し続けています。