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岩手県平泉町の静寂な森の奥深く、そびえ立つ岩壁に抱かれるように佇む達谷窟毘沙門堂。その朱塗りの柱と懸造りの舞台は、まるで大地と一体となり、時の流れを超えて存在しているかのようです。
この地は、かつて蝦夷の族長・悪路王が砦を築き、都からさらわれた姫君が幽閉されたと伝えられる場所。坂上田村麻呂が征夷大将軍としてこの地に赴き、激戦の末に悪路王を討ち果たした後、戦勝を毘沙門天の加護と感じ、清水寺を模したこの堂を建立したとされています。
堂の左手には、高さ約16.5メートル、肩幅約9.9メートルの磨崖仏「岩面大佛」が刻まれています。その表情は穏やかでありながらも、時の流れと共に風化し、歴史の重みを感じさせます。この仏像は、源義家が前九年の役と後三年の役で亡くなった敵味方の霊を供養するために彫りつけたと伝えられています。
境内には「蝦蟆ヶ池」と呼ばれる池があり、その中島には弁天堂が建っています。慈覚大師が、五色の蝦蟆の姿で貧乏をもたらす貪欲神が化けていると見破り、島を捕らえて堂を建立し、弁財天を祀ったと伝えられています。この弁天様は嫉妬深いとされ、カップルで参拝すると別れるという言い伝えもあります。
また、境内の奥には「姫待不動堂」があり、悪路王にさらわれた姫君が逃げようとした際に待ち伏せされた「姫待瀧」や、姫の黒髪を掛けたとされる「髢石」など、伝説の舞台が点在しています。
達谷窟毘沙門堂は、ただの建築物ではなく、歴史と伝説が交錯する神聖な場所。訪れる者は、その静寂と荘厳さに心を打たれ、時を超えた物語に思いを馳せることでしょう。