薬祖神祠

京都市中京区の神社

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京都の二条通を歩くと、かつて薬問屋が軒を連ねたこの通りの歴史が、今も静かに息づいているのを感じることができます。その一角に、ひっそりと佇む薬祖神祠があります。この小さな祠は、医薬の神々を祀り、訪れる者に深い敬意と安らぎを与えてくれます。

薬祖神祠の創建は1858年(安政5年)に遡ります。当時、二条通は薬種業者の組合が結成され、多くの薬問屋が立ち並ぶ薬の町として知られていました。この地の薬業者たちは、商売繁盛と人々の健康を願い、薬師如来や住吉大明神、そして中国の医薬と農業を司る神・神農を祀る「薬師講」を結成しました。これが薬祖神祠の始まりとされています。 (kyotonikanpai.com)

しかし、1864年(元治元年)の蛤御門の変で二条の薬業街は焼失しました。それでも、祭りは毎年続けられ、明治維新後の廃仏毀釈の影響で一時中断するも、明治30年に復興されました。この際、祭神に大己貴命(おおなむちのみこと)と小彦名命(すくなひこなのみこと)を加え、さらに1880年(明治13年)には西洋医学の父とされるヒポクラテスも祭神に迎え入れました。こうして、日本、中国、ギリシャの医薬の神々が一堂に会する、他に類を見ない神祠となったのです。 (kyotonikanpai.com)

祠の正面はガラス張りになっており、内部には神農像やヒポクラテス像、唐神輿、唐太鼓などが安置されています。これらの像は、医薬の歴史と文化の交差点としての役割を果たしてきたこの地の象徴とも言えるでしょう。特に神農像は、宇治市の黄檗山万福寺の隠元隆琦が請来したものと伝えられています。 (kyototuu.jp)

毎年11月の第1金曜日には「薬祖神祭」が執り行われます。この祭りでは、参拝者に無病息災を祈願した薬効のある笹の葉が授与されます。かつては夜店も並び、京都の年中行事の一つとして盛大に行われていました。現在も、医療や医薬品事業者からの信仰を集め、地域の人々に親しまれています。 (kyotonikanpai.com)

二条通を歩きながら、薬祖神祠に立ち寄ると、医薬の歴史と文化が交差するこの地の深い物語に触れることができます。静寂の中に佇むこの祠は、過去と現在をつなぐ架け橋として、訪れる人々に静かな感動を与えてくれるでしょう。