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長崎の街並みを見下ろす丘の上、分紫山福済寺は静かに佇んでいます。1628年、福建省泉州出身の僧・覚海によって創建されたこの寺院は、長崎四福寺の一つとして、異国情緒あふれる歴史を刻んできました。かつては壮麗な伽藍を誇り、国宝にも指定されていましたが、1945年の原爆投下により、すべてが灰燼に帰しました。
しかし、福済寺は再び立ち上がりました。1979年、原爆犠牲者と戦没者の冥福を祈るため、高さ34メートル、重さ35トンの万国霊廟長崎観音が建立されました。白亜の観音像は、亀の形をした霊廟の上に立ち、慈悲深い眼差しで長崎の街を見守っています。この亀は、仏の使徒であり、万年生きるとされることから、どんなに長い時間がかかっても願いを叶えてくれるという意味が込められています。
観音像の内部には、地球の自転を示すフーコーの振り子が設置されています。長さ25.1メートルのこの振り子は、日本最大級を誇り、永遠に動き続ける地球とともに、人類も永遠に平和であることへの願いが込められています。
境内には、原爆の爆風で片耳が焼け落ちた雲版や、上半身が吹き飛ばされた地蔵など、被爆の痕跡が今も残されています。これらは、戦争の悲惨さと平和の尊さを静かに語りかけています。
また、福済寺の墓地には、唐通事潁川(陳)家の墓地や唐僧の墓地があり、長崎の国際的な歴史を物語っています。これらの墓地は市の指定史跡となっており、異国文化が交錯した長崎の歴史を今に伝えています。
福済寺は、歴史の荒波を乗り越え、今もなお長崎の街を見守り続けています。その静寂の中に、過去の悲しみと未来への希望が共存し、訪れる人々に深い感慨を与えてくれます。