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弘前市の禅林街は、時の流れを超えて静寂と荘厳さを湛える場所である。この地は、慶長15年(1610年)、津軽藩二代藩主・津軽信枚が弘前城の裏鬼門を守護するため、津軽一円から曹洞宗の三十三ヶ寺を集めて形成された。そのため、禅林街は全国でも類を見ない寺町として知られている。 (hirosaki-navi.jp)
禅林街の入口には、重厚な黒門がそびえ立つ。この門をくぐると、まっすぐに伸びる道の両側に、歴史ある寺院が整然と並ぶ光景が広がる。道の両脇には、江戸時代に植えられた杉並木が続き、訪れる者を静寂の世界へと誘う。この並木道は、禅林街の荘厳な雰囲気を一層引き立てている。 (hirosaki-navi.jp)
道の突き当たりには、津軽家の菩提寺である長勝寺が鎮座している。この寺は、1528年に大浦盛信が父の菩提を弔うために創建されたもので、1610年に現在の地に移された。長勝寺の三門は、1629年に津軽信枚によって建立されたもので、その高さは一般的なビルの4階分にも及び、圧倒的な存在感を放っている。 (hirosaki-navi.jp)
禅林街には、他にも多くの歴史ある寺院が点在している。例えば、蘭庭院は、津軽為信の姉である蘭庭薫香大禅尼の菩提を弔うために創建された寺院であり、境内には珍しい二重螺旋構造を持つ栄螺堂がある。この堂は、1839年に建立され、堂内を巡ることで巡礼と同じご利益があるとされている。 (hirosaki-navi.jp)
また、宗徳寺は、津軽為信の父である武田守信の菩提を弔うために創建された寺院であり、境内には石田三成の次男・石田重成の墓がある。重成は関ヶ原の戦い後、津軽へ逃れ、津軽家によって庇護されたと伝えられている。 (aotabi.com)
禅林街は、単なる寺町ではなく、弘前城の防御機能も兼ね備えていた。城下町と禅林街の境には土塁が築かれ、さらに西側には堀、北側は断崖、東側は低湿地帯となっており、いざという際の出城的な役割を果たしていた。 (tabi-mag.jp)
このように、禅林街は歴史と文化が息づく場所であり、訪れる者に深い感銘を与える。静寂の中に佇む寺院群は、時代を超えて人々の心を癒し、歴史の重みを感じさせてくれる。