熊本城

日本三名城の一つ

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熊本の中心にそびえる熊本城は、四百年の時を超えて今もなおその威容を誇っています。加藤清正公が築いたこの城は、戦国の世の知恵と工夫が凝縮された名城として名高く、訪れる者を魅了してやみません。

城内に足を踏み入れると、まず目に飛び込んでくるのが、天を突くようにそびえる大天守と小天守です。その黒漆喰の壁と銀色に輝く瓦は、まるで時の流れを止めたかのような美しさを放っています。特に、宇土櫓は「第三の天守」とも称され、三重五階の堂々たる姿で訪れる者を圧倒します。この櫓は西南戦争や度重なる地震を乗り越え、今もなおその姿を保ち続けています。

熊本城の石垣は、下部は緩やかで上部に行くほど急勾配となる「武者返し」と呼ばれる独特の形状をしています。これは敵の侵入を防ぐための工夫であり、清正公の築城技術の粋を集めたものです。また、城内には「地図石」と呼ばれる平滑に加工された石畳があり、その名の通り地図のような模様を描いています。これは茶会の待合所として使われ、訪れる者の目を楽しませたと伝えられています。

城内を歩くと、数々の伝説や逸話が息づいていることに気づきます。例えば、「五郎の首掛石」と呼ばれる奇石には、父の仇を討とうとした横手五郎の悲しい物語が刻まれています。また、城の北に位置する「山伏塚」は、築城時に城の安全を祈祷した修験者が秘密を知ったために殺され、その霊を祀ったものとされています。

熊本城は「銀杏城」とも称され、これは清正公が城内に多くの銀杏の木を植えたことに由来します。これらの銀杏は、万が一の籠城戦に備え、食料としての役割も果たすものでした。また、清正公は「この銀杏の木が天守と同じ高さになった時、この城で戦が起こるだろう」と語ったとされ、西南戦争時には実際に銀杏が天守と同じ高さに達していたと伝えられています。

城内には、熊本城稲荷神社が鎮座し、加藤清正公の時代から城の守り神として崇敬を集めています。毎年2月の初午大祭には、多くの参拝者が訪れ、福を求めて賑わいます。この神社の神使である二匹の狐は、清正公とともに熊本にやってきたと伝えられ、今もなお城を見守り続けています。

熊本城は、歴史の荒波を乗り越え、幾度となく修復と再建を繰り返してきました。特に、平成28年の熊本地震では甚大な被害を受けましたが、多くの人々の努力と情熱によって復旧が進められ、令和3年には天守閣が完全に復旧しました。この城は、熊本の人々の誇りであり、歴史と文化の象徴として、これからもその姿を後世に伝えていくことでしょう。

熊本城を訪れると、石垣の一つ一つ、櫓の梁の一本一本に、築城者たちの知恵と工夫、そして城を守り続けた人々の思いが込められていることを感じます。歴史の息吹を肌で感じながら、悠久の時を超えた熊本城の魅力に心を奪われることでしょう。