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目黒の静寂な一角に佇む泰叡山瀧泉寺、通称目黒不動尊は、千年以上の歴史を誇る関東最古の不動霊場である。その創建は大同3年(808年)、慈覚大師円仁がこの地で不動明王を安置したことに始まると伝えられている。境内に足を踏み入れると、都会の喧騒が嘘のように消え、緑豊かな木々と清らかな水の音が心を落ち着かせる。
仁王門をくぐると、急な石段「男坂」が本堂へと続く。その脇には「鷹居の松」が立ち、徳川家光が鷹狩りの際に愛鷹を失い、目黒不動尊に祈願したところ、鷹がこの松に戻ってきたという逸話が残る。家光はこの霊験に感銘を受け、堂塔伽藍の再建を命じ、以後、幕府の厚い庇護を受けることとなった。
石段を登りきると、昭和56年(1981年)に再建された大本堂が現れる。その天井には日本画家・川端龍子による「波濤龍図」が描かれ、龍が波間を舞う壮大な光景が広がる。本堂裏手には、天和3年(1683年)に造られた高さ約4メートルの銅造大日如来坐像が鎮座し、その威厳ある姿が訪れる者を圧倒する。
境内の左手には「独鈷の滝」があり、慈覚大師が法具の独鈷を投じた場所から泉が湧き出したと伝えられている。この滝は今も枯れることなく流れ続け、滝の前には「水かけ不動明王」が立つ。参拝者は柄杓で水をかけ、心身の浄化や願い事の成就を祈る。
また、境内には江戸中期の蘭学者・青木昆陽の墓があり、彼は飢饉対策としてサツマイモの栽培を推奨し、「甘藷先生」として親しまれた。毎年10月28日には彼の遺徳を偲ぶ「甘藷祭り」が開催され、多くの参拝者で賑わう。
目黒不動尊は、江戸五色不動の一つとしても知られ、目黒、目白、目赤、目青、目黄の五不動が江戸の町を護るために安置された。江戸時代には庶民の行楽地としても栄え、門前町には茶屋や土産物屋が軒を連ね、落語「目黒のさんま」の舞台ともなった。
現代においても、目黒不動尊は多くの人々の信仰を集め、歴史と文化が息づく場所として、訪れる者の心を癒し続けている。