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福岡市博多区千代の一角、石堂橋のたもとに佇む「濡衣塚」。この地は、静寂と歴史の息吹が交錯する場所であり、訪れる者の心に深い余韻を残す。
塚の中心には、高さ約165センチの玄武岩製の板碑がそびえ立つ。その表面には、太く刻まれた三つの梵字があり、上部には大日如来、右下には宝幢如来、左下には天鼓雷音如来が表現されている。この板碑は、康永三年(1344年)に建立されたもので、南北朝時代の石造美術の粋を今に伝えている。 (yokanavi.com)
この地には、聖武天皇の時代(724~749年)にまつわる悲しい伝説が息づいている。筑前国司・佐野近世の娘、春姫は、継母の嫉妬から無実の罪を着せられ、父の手によって命を奪われたという。この出来事が「濡れ衣」という言葉の由来となったと伝えられている。春姫の無念を慰めるために建てられたこの塚は、時を超えて訪れる人々にその物語を語りかけている。 (yokanavi.com)
塚の周囲には、御笠川の流れが穏やかに広がり、川面に映る空と緑が心を和ませる。近くには、寛文九年(1669年)に開基された濡衣山松源寺が建ち、歴史の重みを感じさせる。この地を訪れると、過去と現在が交錯する不思議な感覚に包まれる。
福岡市の喧騒から一歩離れ、濡衣塚の静寂に身を置くと、歴史の深淵に触れることができる。ここは、ただの史跡ではなく、人々の思いと時間が織りなす物語の舞台であり、訪れる者の心に深い印象を刻む場所である。