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盛岡市名須川町の静かな一角、光台寺の境内に佇む高さ約3メートルの石塔は、「ムカデ姫の墓」として知られています。この墓は、南部家第27代当主・利直公の正室であった於武の方、法名を源秀院殿と称する女性の眠る場所です。
於武の方は、戦国武将・蒲生氏郷の養女であり、その血筋は平将門を討ち取った藤原秀郷、すなわち俵藤太に遡ります。彼女が南部家に嫁ぐ際、先祖が大ムカデ退治に用いたと伝わる矢の根を持参しました。しかし、彼女の死後、その遺体の下にムカデが這い回るような不気味な痣が浮かび上がったと伝えられています。人々はこれを矢の根に宿るムカデの怨念と恐れ、利直公はムカデが水を嫌うことから、墓を堀で囲み、石垣で固めるよう命じました。しかし、何度橋を架けても一夜にして壊され、墓からは大小のムカデが無数に現れ、彼女の髪の毛が片目の蛇となって石垣の間から這い出るという怪異が続いたといいます。これらの出来事から、於武の方は「ムカデ姫」と呼ばれるようになり、その墓は「ムカデ姫の墓」として語り継がれることとなりました。
現在、墓の周囲に堀や橋の跡は見られませんが、石塔は静かに時を刻み、訪れる人々にその伝説を物語っています。光台寺の境内は四季折々の風情を湛え、春には桜が咲き誇り、秋には紅葉が彩りを添えます。この地を訪れると、歴史の深淵に触れ、過去と現在が交錯する不思議な感覚に包まれることでしょう。