清洲城

織田信長の天下統一の出発点

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五条川の清らかな流れに寄り添うように、清洲城はその姿を現す。春の陽光が川面にきらめき、桜の花びらが風に舞いながら水面に落ちていく。この地は、かつて織田信長が若き日々を過ごし、天下統一への夢を描いた場所である。1405年、尾張の守護・斯波義重によって築かれたこの城は、時代の流れとともに多くの物語を紡いできた。

城の周囲を歩けば、歴史の息吹が感じられる。本丸土塁の一部が今も残り、そこには信長を祀る社が静かに佇んでいる。五条川を渡ると、清洲古城公園が広がり、復元された石垣や「右大臣織田信長公古城跡」の石碑が訪れる者を迎える。さらに足を延ばせば、清洲公園に立つ信長と濃姫の銅像が、戦国の世のロマンスを物語っている。

この地は、1582年の本能寺の変後、信長の後継を決める「清洲会議」の舞台ともなった。秀吉や柴田勝家らが集い、歴史の大きな転換点を迎えた場所である。また、城の建材や石垣は、後に築かれた名古屋城に転用され、その一部は今も名古屋城の清洲櫓としてその姿を留めている。

清洲城の周辺には、歴史を感じさせるスポットが点在している。熱田神宮では、信長が桶狭間の戦いの前に戦勝祈願を行い、勝利後には信長塀を寄進したと伝えられている。また、岐阜県の崇福寺には、清洲城の鯱と伝わるものがひっそりと残されている。

清洲の地を訪れれば、戦国の世の息吹と、信長の夢と野望が今も感じられる。五条川のせせらぎとともに、歴史の流れに思いを馳せるひとときが、訪れる者の心を豊かにしてくれるだろう。