殺生石

那須町の歴史的遺跡

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那須岳の麓、湯本温泉街を北へ進むと、硫黄の香りが漂う荒涼とした地に辿り着く。そこには、しめ縄をまとった巨石が鎮座し、周囲の景色と相まって神秘的な雰囲気を醸し出している。この石こそが「殺生石」として知られ、古来より多くの伝説と歴史を秘めている。

平安時代、帝の寵愛を受けた絶世の美女「玉藻の前」は、実は天竺や唐から渡来した九尾の狐の化身であった。彼女は帝の心を奪い、日に日に帝は衰弱していった。陰陽師・安倍泰成がその正体を見破ると、狐は那須野が原へと逃亡し、そこで人々や家畜に害を及ぼした。朝廷の命を受けた上総介広常と三浦介義純が狐を討ち取ると、狐は巨石に姿を変え、毒気を放ち続けた。この石が「殺生石」と呼ばれるようになったのである。 (town.nasu.lg.jp)

時は流れ、室町時代になると、名僧・源翁和尚がこの地を訪れた。和尚が石に向かって一喝すると、石は三つに割れ、狐の霊は成仏したという。しかし、今なおこの地からは硫黄の香りが立ち込め、地表からは有毒な火山性ガスが噴出している。そのため、周囲には草木が生えず、荒涼とした景観が広がっている。 (kotobank.jp)

この地を訪れた俳人・松尾芭蕉も、その光景に心を打たれ、『おくのほそ道』に「石の毒気いまだ滅びず、蜂蝶のたぐひ真砂の色の見えぬほどにかさなり死す」と記し、「石の香や夏草あかく露あつし」という句を詠んでいる。 (town.nasu.lg.jp)

殺生石周辺には、千体地蔵や盲蛇石、教伝地獄などの史跡も点在しており、それぞれに伝説や逸話が残されている。これらを巡ることで、那須の歴史や文化、そして人々の信仰心に触れることができる。

また、毎年5月には「御神火祭」が行われ、白装束に狐の面をつけた人々が松明を持ち、那須温泉神社から殺生石まで練り歩く。これは、那須岳の噴火を鎮め、豊作や無病息災を祈念するための祭りであり、幻想的な光景が広がる。 (skyticket.jp)

2022年3月には、長年一枚岩として存在していた殺生石が自然に二つに割れるという出来事があった。これにより、九尾の狐の封印が解かれたのではないかと話題になったが、専門家によれば、長年の風化や自然現象によるものとされている。 (nasumachi-diary.com)

那須の地に佇む殺生石は、自然の力と人々の信仰、そして伝説が交錯する場所である。訪れる者は、その神秘的な雰囲気と歴史の重みを肌で感じることができるだろう。