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松阪城の裏門跡を抜けると、石畳の道が静かに続いている。その両側には、槙の生垣に囲まれた武家屋敷が整然と並び、時代を超えた風情を醸し出している。ここは御城番屋敷、江戸時代末期に松阪城の警護を担った紀州藩士たちとその家族が暮らした場所である。
文久3年(1863年)、紀州藩の直臣であった40石取りの武士20人が、松阪城の守護を命じられ、この地に移り住んだ。彼らの住まいとして新築されたこの組屋敷は、東棟に10戸、西棟に9戸が連なる長屋形式で、全国的にも類を見ない規模と保存状態を誇る。各戸は間口5間、奥行5間を標準とし、前庭や畑地、土蔵などが配置され、周囲を槙垣が巡る。この整然とした佇まいは、武士の規律と誇りを今に伝えている。
屋敷の一角には、かつて松阪城の隠居丸に建てられていた米蔵が移築されている。この土蔵は、城内の建物として唯一現存するものであり、城の歴史を物語る貴重な遺構である。白壁と黒い柱が織りなすコントラストは、時の流れを超えて美しさを保ち、訪れる者の目を引く。
また、屋敷内には紀州藩祖・徳川頼宣を祀る南龍神社が鎮座している。この神社は、藩士たちの精神的な支えであり、日々の暮らしの中で信仰の中心となっていた。神社の静謐な佇まいは、今もなお訪れる人々に安らぎを与えている。
明治維新後、武士の時代が終焉を迎える中、御城番屋敷の住人たちは「苗秀社」という合資会社を設立し、屋敷の維持管理を続けてきた。現在も子孫たちが住み続け、伝統と歴史を守りながら、一般公開を通じて多くの人々にその価値を伝えている。
石畳を歩くと、槙垣越しに見える屋敷の瓦屋根や白壁が、時代の移ろいを静かに語りかけてくる。春には生垣の緑が鮮やかに映え、夏には蝉の声が響き渡る。秋には紅葉が彩りを添え、冬には雪化粧が一層の趣を加える。四季折々の風景が、この地の歴史と調和し、訪れる者の心を打つ。
御城番屋敷は、単なる歴史的建造物ではなく、今も息づく生活の場である。そのため、訪れる際には住民の静かな日常を尊重し、静かに歩を進めることが求められる。この地を訪れることで、江戸時代の武士たちの暮らしや誇り、そして時代を超えて受け継がれる伝統の重みを肌で感じることができるだろう。
松阪の町並みの中で、ひときわ異彩を放つ御城番屋敷。その静謐な佇まいと歴史の深さは、訪れる者に時を超えた感動を与え、心に深く刻まれるに違いない。