幸地腹・赤比儀腹両門中墓

日本沖縄県糸満市の歴史的遺跡

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沖縄本島南部、糸満市の静かな一角に、県内最大の門中墓である幸地腹・赤比儀腹両門中墓が佇んでいます。約5,400平方メートルの広大な敷地には、5基の破風墓が整然と並び、その壮麗な姿は訪れる者を圧倒します。この墓所は、父系の血縁集団である「門中」の結束と繁栄を象徴する場所であり、約5,500人の先祖が祀られています。

1684年に創建された当初は、小さな亀甲墓が一基のみでしたが、時代とともに子孫が増え、1935年に大規模な改修が行われ、現在の破風形式の家型墓へと姿を変えました。この改修により、墓所は一族の繁栄と団結の象徴として、より一層の威厳を放つようになりました。

墓所内には、当世墓(トーシー墓)や遺骨を一時安置するシルヒラシ墓、納骨堂などが配置され、それぞれが独特の役割を果たしています。特に、当世墓の内部は、80歳以上の高齢で亡くなった方や功労のあった方を直接葬る場所として設けられています。また、納骨所は東西に分かれ、東側に幸地腹系統、西側に赤比儀腹系統の遺骨が安置されています。

この墓所には、1684年に制作された墓誌が存在し、それには幸地腹門中と惣山・赤比儀腹門中の祖先が、互いの遺骨が混在するのを避けるため、墓室内の東側に幸地腹、西側に惣山・赤比儀腹の遺骨をそれぞれ葬る旨が記されています。この墓誌は、17世紀末期における墓の所有や利用の状況を知る上で貴重な資料とされ、2024年に糸満市指定有形文化財(歴史資料)に指定されました。

毎年、旧暦の三月清明節(新暦の4月頃)には、シーミー(清明祭)と呼ばれる祖先供養の祭りが盛大に行われます。この時期、門中の人々が墓前に集まり、重詰料理や酒、花を供え、先祖を敬いながら親睦を深めます。このような行事を通じて、門中の結束と伝統が次世代へと受け継がれていきます。

幸地腹・赤比儀腹両門中墓は、単なる墓所ではなく、一族の歴史と文化、そして絆を象徴する聖地です。その壮大な佇まいは、訪れる者に深い感銘を与え、沖縄の伝統と精神を今に伝えています。