宝珠山立石寺

山形県山形市の天台宗寺院、通称「山寺」

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山形県山形市の山間に佇む立石寺は、静寂と荘厳さが交錯する霊域である。貞観2年(860年)、慈覚大師円仁によって開かれたこの寺は、天台宗の修行道場として知られ、通称「山寺」として親しまれている。山全体が奇岩怪石に覆われ、鬱蒼と茂る木々の間を縫うように千余段の石段が続く。その石段を一歩一歩踏みしめるたび、心の奥深くに響く静けさが増していく。

参道を進むと、国指定重要文化財である根本中堂が姿を現す。延文元年(1356年)に初代山形城主・斯波兼頼によって再建されたこの堂は、ブナ材を用いた日本最古の建築物とされる。堂内には、慈覚大師作と伝えられる木造薬師如来坐像が安置され、比叡山延暦寺から分灯された「不滅の法灯」が千年以上も燃え続けている。 (yamaderakankou.com)

さらに石段を登ると、松尾芭蕉が詠んだ名句「閑さや岩にしみ入る蝉の声」の碑が立つ「せみ塚」に辿り着く。元禄2年(1689年)、芭蕉はこの地を訪れ、深い静寂の中に響く蝉の声に心を打たれたという。その情景は今も変わらず、訪れる者の心を静かに揺さぶる。 (yamagatamoviemarket.jp)

山寺はまた、紅花文化とも深い関わりを持つ。慈覚大師や第二世安然大師によってこの地に伝えられた紅花は、最上川の肥沃な土壌と朝霧の立ちやすい気候風土により、質・量ともに日本一の産地となった。江戸時代初期には全国生産量の50~60%を占め、紅花商人たちは莫大な富を築き、上方文化をこの地に伝えた。 (pref.yamagata.jp)

また、山寺には「ムカサリ絵馬」という独特の風習が伝わる。これは、未婚のまま亡くなった子どものために、親が故人と架空の異性との婚礼の様子を描いた絵馬を奉納し、死後の幸せを祈るというものである。この風習は、親の深い愛情と、死者への思いを形にしたものであり、東北地方特有の死生観を感じさせる。 (rekijin.com)

山寺の頂上に位置する五大堂からは、山形市の街並みや最上川の流れを一望できる。四季折々の風景が広がり、春の新緑、夏の深緑、秋の紅葉、冬の雪景色と、訪れるたびに異なる表情を見せる。その絶景は、登り切った者だけが味わえるご褒美であり、心の奥深くに刻まれる。

山寺立石寺は、歴史と自然、文化が織りなす静寂の聖地である。訪れる者は、千余段の石段を登りながら、自らの心と向き合い、日常の喧騒を忘れ、深い静けさと安らぎを得ることができる。その静寂の中に響く蝉の声は、今も昔も変わらず、訪れる者の心に深く染み入る。