About
和歌山県高野町、奥の院墓地の座標に足を踏み入れると、時の流れが静止したかのような神秘的な空間が広がります。樹齢数百年を超える杉の巨木が天を突くようにそびえ立ち、その間を縫うように石畳の参道が続いています。この道の両脇には、約20万基にも及ぶ墓石や供養塔が整然と並び、歴史の重みと人々の祈りが感じられます。
参道を進むと、戦国時代の名将たちの名が刻まれた墓碑が目に入ります。武田信玄、上杉謙信、織田信長、豊臣秀吉、伊達政宗…。彼らが生前に繰り広げた激しい戦いも、ここでは静寂に包まれ、敵味方の区別なく並ぶ墓石が、死後の平等を物語っています。
さらに歩を進めると、「汗かき地蔵」と呼ばれるお地蔵様が現れます。この地蔵は、人々の罪業を一身に背負い、地獄の業火を代わりに受けていると伝えられています。そのため、特に午前10時頃に汗をかくとされ、訪れる者の心を打ちます。
また、「姿見の井戸」という伝説の井戸もあります。この井戸を覗き込み、自分の姿が映らなければ、3年以内に死ぬという言い伝えがあり、多くの参拝者が恐る恐る覗き込んでいます。
参道の終点、御廟橋を渡ると、そこから先は聖域とされ、写真撮影も禁止されています。橋の下を流れる玉川には、空海がこの地を訪れた際の伝説が残されています。一人の猟師が川の魚を串刺しにして焼こうとしていたところ、空海がそれを憐れみ、魚を川に戻すと、再び命を取り戻して泳ぎ出したといいます。そのため、現在でもこの川を泳ぐ魚には、串が刺さっていた部分が斑点として残されていると伝えられています。
御廟橋を渡った先には、燈籠堂があり、無数の灯籠が灯され、読経の声が響き渡ります。その奥には、弘法大師空海が入定された御廟が静かに佇んでいます。空海は、承和2年(835年)3月21日、この地で即身成仏し、今もなお瞑想を続けていると信じられています。そのため、毎日2回、空海に食事を届ける「生身供」という儀式が1200年以上にわたり続けられています。御供所で調理された食事は、嘗試地蔵での味見を経て、僧侶たちによって御廟へと運ばれます。この儀式は、空海が今も生きているという信仰の証として、多くの人々の心に深く刻まれています。
奥の院墓地は、歴史と信仰、そして人々の祈りが交差する特別な場所です。訪れる者は、静寂の中で自らの心と向き合い、過去と現在、そして未来をつなぐ時間を過ごすことができるでしょう。