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瀬戸内海の穏やかな波間に浮かぶ小さな島、大久野島。その周囲はわずか4キロメートルほどで、現在では「うさぎの島」として知られ、訪れる者を愛らしい野生のうさぎたちが迎えてくれる。しかし、この島の歴史を紐解けば、かつて「地図から消された島」としての暗い過去が浮かび上がる。
昭和初期、この島は日本陸軍の毒ガス製造拠点として選ばれた。1929年から終戦までの間、猛毒のイペリットやルイサイトなどが密かに生産され、その存在は国家機密として厳重に隠蔽された。そのため、当時の地図からは大久野島の名が消され、一般の人々の目からもその姿は隠されたのである。 (pref.hiroshima.lg.jp)
島内には今もなお、当時の面影を残す遺構が点在している。北部砲台跡には、かつて12センチ速射カノン砲が設置されていた。また、長浦毒ガス貯蔵庫跡では、火炎放射器で焼却された痕跡が黒く残り、戦争の悲惨さを物語っている。 (takeharakankou.jp)
戦後、毒ガスの製造が終わり、島は静寂を取り戻した。しかし、毒ガスの影響は深刻で、土壌汚染や健康被害が問題となった。その後、環境整備が進められ、現在では豊かな自然が息づく島へと生まれ変わった。
現在、大久野島は約900羽もの野生のうさぎが生息する楽園となっている。これらのうさぎは、戦後に地元の小学校で飼われていた数匹が放たれ、繁殖したものとされている。訪れる人々は、うさぎたちとの触れ合いを楽しみながら、島の美しい自然と穏やかな時間を満喫している。 (pref.hiroshima.lg.jp)
しかし、この愛らしい風景の背後には、忘れてはならない歴史が刻まれている。島内にある毒ガス資料館では、当時の資料や写真が展示され、戦争の悲惨さと平和の大切さを伝えている。訪れる者は、うさぎたちの無邪気な姿に癒されると同時に、過去の教訓を胸に刻むこととなる。 (tabi-mag.jp)
大久野島は、過去と現在が交錯する特別な場所である。穏やかな瀬戸内の風景の中で、歴史の重みと平和の尊さを感じることができるこの島は、訪れるすべての人々に深い感慨を与えてくれるだろう。