上の橋

国指定重要美術品の青銅擬宝珠を有する盛岡市の歴史的な橋

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盛岡市の中心を流れる中津川に架かる上ノ橋は、時の流れを超えて佇む歴史の証人である。慶長十四年(1609年)、南部利直公が盛岡城築城に際して架けたこの橋は、四百年以上の歳月を経てもなお、その風格を保ち続けている。

橋の欄干に並ぶ青銅製の擬宝珠は、まるで時代の灯火のように輝きを放つ。これらの擬宝珠は、慶長十四年製が八個、慶長十六年(1611年)製が十個、計十八個が取り付けられており、その多くが国の重要美術品に指定されている。伝承によれば、南部十二代政行公が詠んだ歌への恩賞として、村上天皇より京都鴨川の橋と同型の擬宝珠の使用が許可されたという。幾度もの水害に見舞われ、橋が流失するたびに擬宝珠は守られ、現在もその姿を留めている。 (morioka-honcho.com)

橋のたもとには、盛岡市の保存樹木である大イチョウがそびえ立つ。かつてこの大木の向かいには岩手県立中央病院があり、患者たちを見守り続けていた。昭和六十二年(1987年)の病院移転計画に伴う道路整備で伐採の危機に瀕したが、市民の保存を願う声に応え、道路を分断する形で残された。盛岡の歴史とともに生き続けたこの大イチョウは、今も人々を癒し続けている。 (morioka-honcho.com)

上ノ橋の近くには、かつて塩の道と呼ばれた小本街道・野田街道が通っていた。三陸北部の野田村で作られた塩は、南部牛方と呼ばれる行商人たちによって牛の背に積まれ、盛岡近在に運ばれた。しかし、重い塩袋を積んだ牛は橋板を傷めるという理由で上ノ橋を渡ることができず、橋の少し上流の浅瀬を渡った。その際、牛たちを河原に誘導するために作られた石畳の坂道が「牛越え場」として今も残っている。 (morioka-honcho.com)

中津川のほとり、上ノ橋緑地公園には、盛岡市出身の歌人・大西民子や詩人・田中冬二、山口青邨の詩歌碑が建てられている。また、慶長十八年(1613年)に城下盛岡に最初に移住した近江商人・村井新七を顕彰した「近江商人わらじ脱ぎ場」の碑もあり、歴史と文学が交差する場所となっている。 (morioka-honcho.com)

上ノ橋を渡ると、盛岡の街並みが広がり、歴史と現代が調和した風景が目の前に広がる。橋の上から眺める中津川の流れは、四季折々の表情を見せ、訪れる人々の心を和ませる。春には桜が咲き誇り、夏には清流が涼を運び、秋には紅葉が川面を彩り、冬には雪景色が静寂をもたらす。この橋を歩けば、時代を超えた物語が聞こえてくるようだ。

上ノ橋は、盛岡の歴史と文化を象徴する存在であり、訪れる人々に過去と現在をつなぐ架け橋としての役割を果たしている。その佇まいは、時代の移り変わりを見守りながらも、変わらぬ魅力を放ち続けている。