About
名古屋の喧騒の中、大須商店街の一角に佇む万松寺は、時の流れを超えて歴史の息吹を伝える場所です。1540年、織田信長の父・信秀公が織田家の菩提寺として建立したこの寺は、数々の歴史的瞬間を見守ってきました。
天文21年(1552年)、信秀公の葬儀がここで執り行われました。18歳の信長は、茶筅髪に荒縄の帯という奇抜な姿で現れ、抹香を手づかみにして父の位牌に投げつけました。この大胆な振る舞いは、彼が「うつけ者」と称されるきっかけとなり、後の天下統一への布石ともなりました。
また、幼少期の徳川家康(竹千代)は、織田家の人質としてこの万松寺で数年間を過ごしました。ここで信長と初めて出会ったとも伝えられ、後の同盟関係の礎が築かれた場所でもあります。
境内には、信長の命を救ったとされる「身代不動明王」が祀られています。元亀元年(1570年)、信長が鉄砲で狙撃された際、懐に入れていた万松寺の和尚からもらった干し餅が弾を受け止め、命拾いをしたという逸話があります。この話を聞いた加藤清正が「身代不動明王」と名付け、以来、多くの人々の信仰を集めています。
さらに、商売繁盛や金運招福の神として知られる「白雪稲荷」も鎮座しています。かつて万松寺が財政難に陥った際、白雪稲荷が御小女郎に化けてお金を工面し、寺を救ったという伝説が残っています。この話が広まり、多くの商人や参拝者が訪れるようになりました。
現代の万松寺は、伝統と革新が融合した姿を見せています。本堂の壁面には、信長の「焼香投げ事件」や「敦盛の舞」を再現したからくり人形が設置され、定期的に上演されています。また、白龍が光と水を使って咆哮する演出もあり、訪れる人々を魅了しています。
この地を訪れると、歴史の重みと現代の息吹が交錯し、時空を超えた旅へと誘われます。万松寺は、名古屋の中心でありながら、静寂と歴史の深みを感じさせる特別な場所です。